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蚕種検査及び催青発蛾促進室
当時は母蛾の病気の有無を検査したり、蚕卵の孵化が出来るよう保護・調整をするために使われていました。現在は、料理教室などの個人利用から食品加工品開発まで、様々な目的でご利用いただくことができる施設となっています。
館内イメージ

これまでのあゆみ
竣工年
1934年(昭和9年)12月
当時の使われ方
母蛾に病気がないかどうかの検査をしたり、蚕を掃立(はきたて)する日に、蚕卵の孵化が出来るよう保護・調整をするための場所として使われました。当時の法律によって定められた蚕種に関する検査の規定もあり、養蚕試験場の中でも重要な役割を持ちました。
また、催⻘(さいせい)とは、蚕の卵を孵化させるため、温度・湿度・光線などを調節した環境に保護することをいい、良い蚕が生まれるかの大切な場所でした。

▲ 蚕の一生 工程:蚕種検査
【蚕種検査とは】
微粒子病という、蚕がかかる病気があり、母蛾から卵へと伝染(経卵伝染)したり、野外昆虫から桑を経て蚕に感染するため、厳重な検査規程が設けられました。蚕糸業法第9条第3項では、母蛾の検査に合格したものでなければ蚕種及び蚕児を譲渡し、あるいは飼育することができないことが規定されています。さらに、蚕糸業法施行令によって蚕種に関する検査の規定もあり、養蚕試験場の中でも重要な役割をもつ場所でした。(※蚕糸業法は平成9年に廃止)

▲ 顕微鏡(写真左)

▲ 微粒子病検査乳鉢
職員は、蚕室で産卵した大量の蛾を集め検査を行いました。昭和43年6月以前は、1蛾ずつ母蛾の微粒子病検査を顕微鏡でしていましたが、それ以降は集団母蛾検査装置が開発され、集団蛾検査になりました。この検査で、微粒子病の胞子が見つかれば、同時期に採られた卵は全て廃棄しなければなりませんでした。さらに、蚕室、蚕具の消毒を徹底して行う必要がありました。
【催⻘発蛾促進とは】
催⻘(さいせい)とは、蚕の卵を掃立予定日に揃って孵化させるため、温度・湿度・光線などを調節した室に保護することをいいます。掃立日には、蟻蚕(ぎさん)または毛蚕(けご)と呼ばれる孵化したての蚕を、蚕座(さんざ)と言われる蚕を飼育する道具に移し、細かく刻んだ桑の葉を与え、蚕の飼育がはじまります。羽ほうきを使って蟻蚕を蚕座に掃き下すことから「掃立て(はきたて)」と呼ばれています。

▲ 羽箒(はぼうき)


▲ 「掃立」作業の様子
原蚕種試験所では蚕の原種の配布事業も公的な事業として、重要な仕事の一つでした。配布する原蚕の卵の品種と蛾数(1蛾約500粒)を、大学や県の試験場、⺠間などから前年度のうちに要望を受け、飼育、原蚕種を採種後、配布先が必要な時に合わせて直接原蚕種の配布を行いました。依頼先への発送作業等も一つ一つ職員の手により行われました。

▲ 蚕の卵(産卵台紙)

▲ 蚕の卵の発送作業の様子
蚕糸業をめぐる諸事情の変化に伴い、蚕糸試験場の役割も変化していきました。昭和50年代初めには、3研究室の居室及び実験室として使用され、蚕種検査及び催⻘発蛾促進室という呼称は、それ以前のものと考えられます。また、昭和58年に農業生物資源研究所の1研究室の設立に伴い研究室が発足した時には、右側には農業生物資源研究所の研究で使用するクリーンベンチ、培養室、超低温冷蔵庫、液体窒素タンク等が並んでおり、左側に原蚕種の研究室が置かれました。蚕種検査及び催⻘発蛾促進室研究室だったこの場所も、その時代により、使われ方も様変わりしていきました。






